二・二六事件 「獄中日記」 磯部浅一

磯部浅一

はじめに

二・二六事件の勃発には複雑な背景がありましたが、政府高官の腐敗と貧富の格差を背景に、天皇親政を実現することを目的として行われました。
二・二六事件の首謀者の磯部浅一は、獄中において「行動記」「獄中日記」「獄中手記」を記しています。
これらの資料はクーデターの首謀者の心理、思想を表すものとして貴重なもので、この記事では一部を掲載しています。
私はこれほど強い正義感、正義が打ち破られていることへの憤怒と憎悪に満ちた文章を見たことがありません。
現代において、上級国民がそれ以外を支配し、搾取していることは自明ですが、正義感と怒りに基づいて行動する人はいません。

事件概要

1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが約1,500名の下士官兵を率いて起こした日本のクーデター未遂事件です。
岡田啓介内閣総理大臣、鈴木貫太郎侍従長、斎藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顕前内大臣を襲撃、総理大臣官邸、警視庁、内務大臣官邸、陸軍省、参謀本部、陸軍大臣官邸、東京朝日新聞を占拠しました。
最終的には陸軍と政府は彼らを「叛乱軍」として武力鎮圧を決意し、投降した事件の首謀者達は銃殺刑に処せられました。

獄中日記

■八月一日 
何をヲッー、殺されてたまるか、死ぬものか、千万発射つとも死せじ、断じて死せじ、死ぬることは負
けることだ、成仏することは譲歩することだ、死ぬものか、成仏するものか。
悪鬼となって所信を貫徹するのだ、ラセツとなって敵類賊カイを滅尽するのだ、余は祈りが日々に激しくなりつつある、余の祈りは成仏しない祈りだ、
悪鬼になれるように祈っているのだ、優秀無敵なる悪鬼になるべく祈っているのだ、必ず志をつらぬいて見せる、余の所信は一分も一厘もまげないぞ、完全に無敵に貫徹するのだ、妥協も譲歩もしないぞ。

 余の所信とは日本改造法案大網を一点一角も修正することなく完全にこれを実現することだ。
 法案は絶対の真理だ、余は何人といえどもこれを評し、これを毀却することを許さぬ。
 法案の真理は大乗仏教に真徹するものにあらざれば信ずることができぬ。
 しかるに大乗仏教どころか小乗もジュ道も知らず、神仏の存在さえ知らぬ三文学者、軽薄軍人、道学先生らが、わけもわからずに批判せんとし毀(こぼ)たんするのだ。
 余は日蓮にあらざれども法案をそしる輩を法謗のオン賊と言いてハバカラヌ。

 日本の道は日本改造法案以外にはない、絶対にない。
日本がもしこれ以外の道を進むときには、それこそ日本の歿落の時だ。
 明らかに言っておく、改造法案以外の道は日本を歿落せしむるものだ、如何となれば官僚、軍閥、幕僚の改造案は国体を破滅する恐るべき内容をもっているし、一方高天ケ原への復古革命論者は、ともすれば公武合体的改良を考えている。
共産革命か復古革命かが改造法案以外の道であるからだ。
 余は多弁を避けて結論だけを言っておく、日本改造法案は一点一角一字一句ことごとく真理だ、歴史哲学の真理だ、日本国体の真表現だ、大乗仏教の政治的展開だ、余は法案のためには天子呼び来れども舟より下らずだ。

■八月十日
天皇陛下は十五名の無双の忠義者を殺されたのであろうか、そして陛下の周囲には国民が最もきらっている国奸らを近づけて、彼らのいいなり放題におま
かせになっているのだろうか、陛下 われわれ同志ほど、国を思い陛下のことをおもう者は日本国中どこをさがしても決しておりません、
その忠義者をなぜいじめるのでありますか、朕は事情を全く知らぬと仰せられてはなりません、
仮りにも十五名の将校を銃殺するのです、殺すのであります、陛下の赤子を殺すのでありますぞ、殺すと言うことはかんたんな問題ではないはずであります、
陛下のお耳に達しないはずはありません、お耳に達したならば、なぜ充分に事情をお究(きわ)め遊ばしませんのでございますか、なぜ不義の臣らをしりぞけて、忠烈な士を国
民の中に求めて事情をお聞き遊ばしませぬのでございますか、何というご失政ではありましょう。
 こんなことをたびたびなさりますと、日本国民は 陛下をおうらみ申すようになりますぞ、菱海はウソやオべンチャラは申しません、
陛下のこと、日本のことを思いつめたあげくに、以上のことだけは申し上げねば臣としての忠道が立ちませんから、少しもカザらないで陛下に申し上げるのであります。

陛下 日本は天皇の独裁国であってはなりません、重臣元老貴族の独裁国であるも断じて許せません、明治以後の日本は、天皇を政治的中心とした一君と万民との一
体的立憲国であります、
もっとワカリ易く申し上げると、天皇を政治的中心とせる近代的民主国であります、さようであらねばならない国体でありますから、何人の独裁をも許しません、
しかるに今の日本は何というざまでありましょうか、
天皇を政治的中心とせる元老、重臣、貴族、軍閥、政党、財閥の独裁の独裁国ではありませぬか、
いやいや、よくよく観察すると、この特権階級の独裁政治は、天皇をさえないがしろにしているのでありますぞ、
天皇をローマ法王にしておりますぞ、ロボットにし奉って彼らが自恣専断を思うままに続けておりますぞ。
日本国の山々津々の民どもは、この独裁政治の下にあえいでいるのでありますぞ。

陛下 なぜもっと民をごらんになりませぬか、日本国民の九割は貧苦にしなびて、おこる元気もないのでありますぞ。
陛下がどうしても菱海の申し条をおききとどけ下さらねばいたし方ございません、菱海は再び陛下側近の賊を討つまでであります、今度こそは宮中にしのび込んでも、
陛下の大御前ででも、きっと側近の奸を討ちとります。
 おそらく陛下は、陛下の御前を血に染めるほどのことをせねば、お気付きあそばさぬのでありましょう、悲しいことでありますが、陛下のため、皇祖皇宗のため、仕方ありません、菱海は必ずやりますぞ。
 悪臣どもの上奏したことをそのままうけ入れあそばして、忠義の赤子を銃殺なされましたところの陛下は、不明であられるということはまぬかれません、
かくのごとき不明をお重ねあそばすと、神々のおいかりにふれますぞ、いかに陛下でも、神の道をおふみちがえあそばすと、ご皇運の涯てることもござります。

統帥権を干犯したほどの大それた国賊どもをお近づけあそばすものでありますから、二月事件が起ったのでありますぞ、佐郷屋、相沢が決死挺身して国体を守り、
統帥大権を守ったのでありますのに、かんじんかなめの陛下がよくよくその事情をおきわめあそばさないで、何時までも国賊の言いなりになってござられますから、日本
がよく治らないで常にガタガタして、そこここで特権階級がつけねらっているのでありますぞ、陛下 菱海は死にのぞみ、陛下の御聖明に訴えるのであります、
どうぞ菱海の切ない忠義心を御明察下さりますよう伏して祈り
ます。
獄中不断に思うことは、陛下のことでごぎります、陛下さえシッカリとあそばせば、日本は大丈夫でございます、同志を早くお側へおよび下さい。

■八月二十八日
竜袖にかくれて皎々不義を重ねてやまぬ
重臣、元老、軍閥等のために、いかに多くの国民が泣いているか。
天皇陛下 この惨タンたる国家の現状を御覧下さい、陛下が、私どもの義挙を国賊叛徒の業とお考えあそばされていられるらしいウワサを刑務所の中で耳にして、
私どもは血涙をしぼりました、真に血涙をしぼったのです。
陛下が私どもの挙をおききあそばして、
 「日本もロシヤのようになりましたね」と言うことを側近に言われたとのことを耳にして、私は数日間気が狂いました。
 「日本もロシヤのようになりましたね」とははたして如何なる御聖旨かにわかにわかりかねますが、何でもウワサによると、
青年将校の思想行動がロシヤ革命当時のそれであるという意味らしいとのことをソク聞した時には、
神も仏もないものかと思い、神仏をうらみました。

だが私も他の同志も、いつまでもメソメソと泣いてばかりはいませんぞ、泣いて泣き寝入りは致しません、怒って憤然と立ちます。
今の私は怒髪天をつくの怒りにもえています、私は今は、陛下をお叱り申し上げるところにまで、精神が高まりました、
だから毎日朝から晩まで、陛下をお叱り申しております。
天皇陛下 何というご失政でありますか、何というザマです、皇祖皇宗におあやまりなされませ。

■八月二十九日 
十五同志の四九日だ、感無量、同志が去って世の中が変った、石本(寅三)が軍事課長になり、寺内はそのまま大臣、南が朝鮮(総督)、
ああ、鈴木貫太郎も牧野も、西園寺も、湯浅もますます威勢を振っている、
たしかにわが十五同志の死は、世の中を変化さした。悪く変化さした、残念だ、少しも国家のためになれなかったとは残念千万だ、
今にみろ、悪人どもいつまでもさかえさせはせぬぞ、悪い奴がさかえて、いい人間が苦しむなんて、そんなベラ棒なことが許しておけるか。

■八月三十日
一、余は極楽にゆかぬ、断然地ゴクにゆく、地ゴクに行って牧野、西園寺、寺内、南、鈴木貫太郎、石本等々、
後から来る悪人ばらを地ゴクでヤッツケるのだ、ユカイ、ユカイ、余はたしかに鬼になれる自信がある、地ゴクの鬼にはなれる、
今のうちにしっかりした性根をつくってザン忍猛烈な鬼になるのだ、涙も血も一滴ない悪鬼になるぞ。

 二、自分に都合が悪いと、正義の士を国賊にしてムリヤリに殺してしまう、そしてその血のかわかぬ内に、
今度は自分の都合のために贈位をする、石碑を立て表忠頌徳をはじめる、何だバカバカしい、くだらぬことはやめてくれ、
俺は表忠塔となって観光客の前にさらされることを最もきらう、いわんや俺らに贈位することによって、自分の悪業のインペイと自分の位チを守り地位を高
める奴らの道具にされることは真平だ。
俺の思想信念行動は、銅像を立て石碑を立て贈位されることによって正義になるのではない、はじめから正義だ、幾千年たっても正義だ。
国賊だ、教徒だ、順逆をあやまったなど下らぬことを言うな、また忠臣だ、石碑だ贈位だなど下ることも言うな。
「革命とは順逆不二の法門なり」と、コレナル哉コレナル哉、国賊でも忠臣でもないのだ。

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