日本人の愛国心・愛国者に関する一意見

日の丸

はじめに

愛国者」という言葉ほど、政治的な立場によって、使い方が異なる言葉は少ないかもしれません。
「ネット右翼」の大多数は「安倍晋三氏こそ愛国者で山本太郎氏は愛国者ではない」と主張します。
一方保守派の一部や「左翼」と言われる勢力の中には、「安倍晋三氏は愛国者ではなく、山本太郎氏こそ愛国者である」と主張する人もいます。
何故同じ言葉なのに、これほど使い方が分かれるのかを考えてみました。

そもそも国家(国)とは何か?

愛国」とは、文字通り国を愛することであり、「愛国者」とは「国を愛する者」です。
「国」の定義が人によって異なるので、「愛国者」の定義が異なるのではないでしょうか?
「国」とは何かを考えてみましょう。

法学・政治学においては、以下の「国家の三要素」を持つものを「国家」としています。

  1. 領域(領土、領水、領空)
  2. 人民(国民、住民)
  3. 権力(統治機構)・主権

なお、Wikipediaによると、上の見方では、「権力が領域と人民を内外の干渉を許さず統治する存在」として見られています。
3つの要素のどこを重視するかによって意見の違いが生まれるのでしょう。

ネット右翼(ネトウヨ)の愛国

ネット右翼(ネトウヨ)には、自民党、安倍信者が多くいますが、3番目の「権力」を最も重視していると考えられます。
領土を重視していたら、竹島問題、北方領土問題で妥協的な動きをしている自民党を支持するはずがありません。(領土問題では他の政党よりマシと主張するかもしれませんが、「支持政党を持たない」という選択肢がある中で熱烈に自民党を支持しているわけです。)
ネット右翼には弱者を叩く傾向があることから、2番目の「人民」を重視していないでしょう。

「政府がやることに反対するなら日本を出て行け」と主張する連中の異常な主張は「国家=権力」という思想に基づくならば理解できなくはありません。
ただし、この連中が民主党政権時代には逆の主張をしていたような気がしますが、「自民党以外の政権は正当な権力ではない」考えているのでしょうか?
「愛国者」というより「特定の政治勢力の支持者」というべきかもしれません。

新自由主義者の愛国

竹中平蔵氏に代表される企業の利益を重視する立場である新自由主義者・ネオリベは、今の自民党の大多数を占める勢力です。
彼らには愛国心はありません。
そもそも、企業は「国家の三要素」にあてはまらないからです。
安倍晋三氏がヘラヘラ笑いながら「竹中平蔵氏は愛国者」と主張していましたが、何を根拠にしているか不明です。

保守左派の愛国

勢力としては少数派ですが、保守左派と呼ばれる人たちがいます。
かつてあった国民新党的な、弱者保護を重視しつつ領土や伝統を重視する立場です。
領土、人民、権力どれも重視しているバランスが取れた愛国ではないでしょうか?

護憲派左派リベラルの愛国

護憲派左派リベラルは2番目を重視する主張をしています。
領土や領土を守ることにはあまり関心がありません。
権力(統治機構)には否定的です。

護憲派左派リベラルの中には、外国人の権利拡大のみを重視するグループがいますが、外国人は人民ではありません。
このグループにはそもそも愛国心はないと言えるでしょう。

そもそも日本は国家ではないので、愛国者など存在しない

そもそも上の定義に基づくと、日本は「国家」ではありません。
「権力が領域と人民を内外の干渉を許さず統治する存在」ではないからです。
頑なに信じることを拒否する人がいるのが理解できないのですが、日本はアメリカに政治的に、経済的に、軍事的に従属していて、重要政策のほとんどがアメリカの影響に基づいて立案、実行されています。
事例は山程ありますが、年次改革要望書、安保法案、種子法廃止、水道民営化、カジノ法案を挙げれば十分でしょうか?
身も蓋もない言い方をすれば、日本は国家ではないので、愛国心の対象にはならないということになります。
「愛国心」の対象が存在しない以上、日本に「愛国心」を持つ「愛国者」は一人もいません。

愛国的であるためには

「愛国者」が存在しない日本ですが、日本を「国家」にしたい、そして「愛国的」でありたいなら、「権力が領域と人民を内外の干渉を許さず統治する存在」を手に入れなければなりません。
海外の政府への影響力を批判する勢力こそが、「愛国的でありたい」存在と言えるのではないでしょうか?
その観点で考えると、親米保守も親中左翼も「愛国的でありたい」存在ではないでしょう。

ページ上部へ戻る